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 ヘレン・ゲィモンは、最初のシャルトリューをアメリカに持ち帰った後、こう書いています。「アメリカやカナダに登録されているシャルトリューがいないのは驚きでした。シャルトリューを飼っている人はここにはひとりもいなかったのです。私はフランスへそしてベルギーへまた子猫を探しにもどりました。ベルギーでみつけた小さなメスは1970年ベルギーのベスト シャルトリューの子供でした。」このメスはSaint MarcoultのThildaとして知られています。それからまもなくの1974年、カリフォルニア州サンディエゴのGenevieve Scudder (Aristaキャッテリー)がIxion de Guerveurを輸入しました。写真で見ると、後の猫のもととなったこの猫は1930年代のシャルトリューのチャンピオンや今日のグランド チャンピオンと同じように見えます。
 その頃1970年のヨーロッパでは、FIFeがシャルトリューとブリティッシュショートヘアの ブルーの子をかけあわせ、両方の猫にイギリスのスタンダードをあてはめようとしました。ご存知のように、これはシャルトリューの消滅につながる危険をはらんでいました。フランスのブリーダーたちはこれに猛烈に反対しました。M. Jean Simonnetは1972年と1974年に、シャルトリューが純血種であったという歴史的証拠を示す研究論文を発表しました。1977年、FIFeはそれぞれのスタンダードを認識し2つの種をわけることにしました。純粋なシャルトリュー種がすでに残り少なくなっていたため、この決定は非常にタイミングがよいものでした。当時作成されたシャルトリューのスタンダードは、CFAとすべての北米の 猫組織のスタンダードの基礎となりました。フランスやヨーロッパには依然として、組織等に属さず、ハイブリッド種をシャルトリューと呼んでいる出生登録所もあるようです。ですから、シュルトリューを輸入する際は、注意深く血統を見極めなければなりません。
 1979年10月、CFAはシャルトリューをナチュラルブリードとして登録することを認めました。この種は、1986年には仮のステータスを、そして1年後の1987年にはすべての資格を十分に満たしCFAのチャンピオンシップ ステータスを勝ち取りました。1987年2月の評議会のことは今でもとてもよく覚えています。熱心なシャリュトリュー ブリーダーやオーナーたちにより、ワシントン州シアトルのパイクズ マーケットですばらしい祝賀会が催され、その日やはりチャンピオンシップ ステータスを勝ち取ったオシキャット愛好者たちもこれに加わったのです。これは、それまで何百年という間旅してきたシャルトリューの新たな旅立ちでした。
 チャンピオンシップステータスの最初の年(1987-88)、季節の終わり頃(3月)に、最初のグランドチャンピオンが選ばれました。(6頭の同種の猫に勝ち抜くとチャンピオン:CHの称号が与えられ、同種もしくはその他の猫種200頭に勝ちぬけば、グランドチャンピオンの称号が与えられる)
 ニューヨーク州シラキューズのシャーリー・ローゼンバーグのブリーディング、ノースカロライナ州コンコードのマーカスとジーナのクリック夫妻がオーナーのGC Sheenahsユ Chantal of Katoklixです。2匹目のグランド チャンピオンは、4月に選ばれたGC Velure Balladeで、テネシー州ナッシュビルのCatherine Kisrowのブリーディングお呼びオーナーでした。これらの猫が、この年のブリードベストおよびセカンドブリードベストとして選ばれたのです。11シーズンを経て、現在まで、204匹のシャルトリュー種がグランド チャンピオンやグランド プレミア(プレミア:去勢・避妊猫)に輝きました。内訳は、オスのグランド チャンピオン75匹、メスのグランドチャンピオン65匹、そして32匹のオスのグランド プレミアと32匹のメスのグランド プレミアです。


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