シャルトリューはとても古い歴史を持つフランス原産の猫です。

しかしあまりに美しい皮毛故に、毛皮を目的とした乱獲にあい絶滅寸前に至ったという過去があり、

現在も決して数の多くない貴重な猫種です。

ここでは、デボン レクセル という人の書いたシャルトリューの歴史についての翻訳を載せています。

ご興味のある方は、どうぞ御覧になってみて下さいね。


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 長い年月を経てシャルトリューのニックネームは、微笑むフランスの青い猫、僧院の猫、病院の猫、パリの屋根の上の猫、犬のような猫、つまようじを刺したポテト(たくましい体に比較的短く細い足を持つため)などと変化してきましたが、種自体は何百年も変わらぬままです。この種のルーツをたどってみると、シャルトリューは、博物学の始めから独立した種として認められていた、とても古い歴史をもつ猫であることがわかります。これに匹敵するのはアンゴラだけです。
 フランス、パリ在住の、シャルトリュー種の著名な研究家M. Jean Simonnetは、著書「Le Chat des Chartreux (1980)」の中でそのバックグラウンドを追っています。これはこの種に関する唯一の書物で、1990年にカリフォルニア州リバモアのJerome Auerbach (Blaukatzenキャッテリー)によって英語に訳されています。
シャルトリューは、何百年もの間、科学や文学の著述の中に存在してきました。おそらく、1500年代に博物学者Ulisse Androvandiによって書かれた「Felis syrica(シリアの猫)」の中に登場するのが最初のシャルトリューでしょう。四つ足動物に関する論文の中で、この猫はシリアに起源をもつがっしりとしたグレイの猫として説明されています。あるいは、もしかすると、この猫はもともとシリアから運ばれマルタ島に住みついたブルー グレイの「マルタの猫」だったのかもしれません。
 M. Simonnetによれば、シャルトリューという名前が最初に現れたのは、1723年に出版されたSavarry des Bruslonの「商業、博物学、芸術、貿易世界大事典」だということです。シャルトリューというのは、ブルーの被毛を持つ猫またはその毛皮を扱う商人を指す一般的な語だったとBruslonは述べています。また、その最初の種を修道士が所有していたことからシャルトリューと呼ばれるようになったとも彼は述べています。
 1756年、フランスの博物学者Buffonは、著書「博物史」の中で、4つの一般的な種のひとつとしてシャルトリューをあげています。Diderotは1748年「Les bijoux indescret(分別のない宝石)」の中でシャルトリューのことを語っています。Linnaeusは1789年にアッシュブルーのふんわりとしたコートのシャルトリューについて書いています。
 フランスの作家コレットは、彼女自身シャルトリューを飼っていて、しばしばこの猫のことを書きました。「La Chatte (1988)」の中で、彼女はシャリュトリューのSahaのことを「金色の目をしたまんまるほっぺの小さなクマ」「青い鳩‐パールグレイの悪魔」と呼んでいます。
 証拠などはなにもありませんが、シャルトリューに関するひとつの有名な伝説は、多くのシャリュトリュー ブリーダーのお気に入りとするところです。その伝説というのは、シャルトリューという名前は、17世紀にこの猫を喜望峰からフレンチ アルプスの山奥の彼らの僧院「Le Grande Chartreuse」に運んできたCarthusian修道士たち(彼らのグリーンのリキュールが有名)の宗教的儀式からとったというものです。


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